ポスト3.11の世界

 2011年3月11日を境に世界は変わったように思える。震災、津波、そして放射能というハード的な被災面はもちろんだが、我々の価値観(ソフト面)でも大きな転換点となった。そして、違う世界へ横滑りしたような錯覚さえ覚える。
 産業革命以来、人類は科学技術の進歩により大きな力を手にし、文明とともに経済を発展させ続けてきた。西暦1600年には約3億人だった世界人口が21世紀になった現在は60億人を越え、より豊かで便利な社会を求めて、まさに様々なものを大量消費する社会に発展させてきたと言ってもいいのではないだろうか。
 60億の民の経済活動を支えるために、当然、エネルギーの消費も必要である。そのために地球上のあらゆる地下資源を大量消費しているのが現状である。そうした中、人類は原子力というパンドラの箱を手に入れた。そしてその莫大なエネルギー生産力という恩恵の光に目が眩んで、その脅威となる影の部分を十分に認識していなかった。あるいは影を受け入れる覚悟が不十分であったかもしれない。
 それなりの恩恵を享受するにはそれなりのリスク負担があって然るべきなのである。今回、放射能の脅威だけがいまさらのようにメディアで強調されているが、我々はすでにあらゆるリスクの上に生活している。農薬しかり、化学肥料しかり、食品添加物しかり、交通事故しかり、薬品しかり、喫煙しかり、、、枚挙にいとまがない。便利さの裏にはリスクがあるのだ。
 いまさら、24時間経済活動ができ、季節を問わず好きな食べ物が手に入り、ネットで世界中の情報が瞬時に見られるという文明社会での生活習慣を捨てることはできまい。ではどうしたらいいのか。現実を受け入れるしかない。覚悟を決めるしかない。そして、その上で、これまでの大量消費の反省の上で、この震災を転機としてこれからの文明社会のあり方として、生活習慣を見直し、少しずつでも新しい世界をめざした変革を推進していくべきであろう。
 地球が誕生して46億年といわれる。人類の誕生が600-700万年前、現代人(ホモ・サピエンス)の誕生が10~20万年前といわれる。地球の歴史、自然の歴史からすれば人類の存在期間はほんの一瞬である。我々がこの地球上でできるだけ生き永らえて行くためには、自然の中で生かされているという気持ちを忘れずに、常に謙虚な気持ちで自然に接する必要があろう。自然に逆らうのではなく、自然を受け入れ、その中でいかに心豊かな生活を営んでいくかを考えていきたい。
2011年4月15日