Spain旅行ーMadrid

 Spain旅行のラストは首都マドリッド。夜に到着して、まずホテルからほど近いPuerta del Sol(太陽の門)広場にある熊の像を見に行った。熊が寄りかかっているカリフラワーのような植物は山桃の木らしく、マドリッドのシンボルになっている。

 広場の下はPuerta del Solの地下鉄の駅になっていて、夜でもたくさんの人で賑わっていた。

 翌朝のホテルからCallao駅(地下鉄)上の広場を見下ろす。朝早いので人影もマバラ。

 朝一はマドリッドのシンボルであるMayor広場に行った。中央には騎馬に載ったフェリペ3世の銅像がある。午前の早い時間なので広場には仕入れの車がたくさんいた。

 朝食代わりにスペイン老舗のSan Ginesでチュロスホットチョコレートを食べた。メニューはこれがメインで行列もできていて、店はそんなに広くないが外にたくさんのテーブルと椅子があり、多くの人が訪れてもキャパシティーは大きい感じ。

 マヨール広場の隣にあるサン・ミゲル市場。たくさんの観光客で賑わっていたが、見るだけで切り上げ、今日のメインの美術館めぐりに充てる。

 マヨール広場~サン・ミゲル市場を経て、王宮に向かったが、途中で広場のある建物があったので写真を撮った。あとでマドリッド市庁舎の分室とわかり、Villa広場という名前らしく、小さく見える銅像は軍人のアルバロ・デ・バサンという人らしい。

 マヨール通りを突き当たり、バイレン通りに出て目にするのが現在のスペイン王宮である。ちょっと前までは王室の皆さんが住んでいたそうですが、今は王室の行事や海外のゲストをもてなすために使われるらしい。日本でいう迎賓館のような出で立ち。

 王宮の広場の向かいにはアルムデナ大聖堂で現国王が結婚式を執り行った教会で、マドリッドでは最も新しい教会とのこと。

 今日は美術館めぐりの予定だったが、ピカソゲルニカがあるソフィア王妃芸術センターは残念ながら定休日でお休み。ということでタクシーでプラド美術館に行った。写真は入口で、少し並んで入場券を買った。中は撮影禁止で手荷物もロッカーに入れて見学。

 プラド美術館は世界三大美術館の一つと言われていて、ベラスケスやゴヤエル・グレコの三大巨匠の作品が飾られている。(ゴヤのみ日本に来た時に見たけど、あとの二人は知らない)ということで、ゴヤの代表作の”裸のマハ”と”着衣のマハ”を見た。他にもいっぱいゴヤの作品や巨匠の作品があり、全て見るには数か月かかりそう。

 プラド美術館前にあるゴヤ銅像

 プラド美術館の後は、プラド通りに沿ってカスティージョ広場という大きなロータリーに出た。

 ロータリーからサン・ヘロニモ通りに沿ってPuerta del Solに向かう途中、スペインの国会議事堂があったので写真を撮った。両側にライオンの銅像があり、立派な建物でした。

 そのままサン・ヘロニモ通りを行くとPerta del Sol広場の手前に”生ハムの博物館”があったので写真をパシャリ。

 Perta del Sol広場には日本橋でいうところの道路原票であるスペイン国道の0km地点があったのでここでも写真を撮った。

 今日はスペイン旅行のしめくくりとしてパエリアがおいしいというお店で乾杯。お疲れ様でした。\(^^)/

<参考コンテンツ>

・"阪急交通社 たびコト塾 添乗員山上泰布が案内するスペイン〜マドリッド編〜 (youtube.com)"

Spain旅行ーGranada

 Spain旅行第2弾はAlhambra宮殿のあるGranadaへ。この地はイベリア半島で最後のイスラム国家となったナスル王朝を滅ぼし、レコンキスタキリスト教のスペインでの国土回復)の最後の仕上げをしたイサベル女王が愛した土地である。町の中心にはその女王のイサベル I世にコロンブスが謁見しているシーンの銅像がある。そう、イサベル女王はコロンブスに航海の許可を出し、アメリカ大陸発見のきっかけを作った人である。

 イサベル女王とコロンブス銅像がある広場の近くにグラナダ市役所の建物がある。右の写真はグラナダの象徴のザクロの実。歩道の脇に市内のあちこちで見かける。

 市の東側の丘に世界遺産であるアルハンブラ宮殿がある。入口につながる城壁とその先のワインの門。この中がアルハンブラ宮殿の中心となる。

 宮殿のメインであるナスル朝宮の前に、グラナダの防衛となるアルカサバ城塞を見学。その城壁からはグラナダ旧市街の街並みが見渡せる。左の写真中央にグラナダ大聖堂が見える。右写真はアルバイシン地区当たり。

 ナスル朝宮はメスアール宮、コマレス宮、ライオン宮の3つの宮で構成され、アラベスク模様がちりばめられたイスラム建築の最高峰である。

 最初の写真はメスアールの中庭と呼ばれ、真ん中に小さな噴水がある。右は宮殿の壁でよく見かけるアラベスク模様で、中央のタイルの上には”神のみぞ勝利者なり”という意味のアラビア語が書かれており、この宮殿のあちこちで見かける。

 次はコマレス宮のアラヤネスの中庭。この中庭は四角く刈り込んだ植物の間に池が配置されている。

 中庭の奥は大使の間といい、スルタン(イスラムの王)が謁見する部屋とのこと。窓は格子のようにアラベスク模様が入り、日の光が入りにくく、王が座る場所は逆行で王の顔を見えなくしているらしい。この部屋の壁も、天使や神などの偶像崇拝を禁止したイスラム教らしく、一面が幾何学模様のアラベスクで、天井は寄木細工でできており、星々の空を表している。

 次はナスル朝宮でもシンボル的なライオン宮。ライオンが配置された噴水を取り囲むようにオアシスの木々を模した柱が林立する中庭がある。柱という柱や壁という壁の非常に細かいアラベスク模様が圧巻。

 ライオンは全部で12頭おり、当時は水時計として用いられていたとのこと。ここも含めて噴水の水はチョロチョロとしか出ておらず水が貴重な砂漠の民であったイスラムとしては普通だったようだ。

 ライオンの中庭の隣には当時の豪族の名を冠したアベンセラヘスの間があり、天井の鍾乳石のような立体的なアラベスク模様が非常に細かく作られ、誰がどのように作ったかも想像できないくらい。

 メインのナスル朝宮が終わり、前に池を配したパルタル宮へ向かう。このパルタル宮はアルハンブラで最古の宮殿らしい。

 アルハンブラ宮殿のラストは王の夏の離宮であるヘネラリフェへと向かう。宮殿のメインからは少し離れたところにあり徒歩で10分弱くらいか。途中は城壁と庭を見ながら、最後は水路や水の階段と呼ばれるところを通る。

 ヘネラリフェの直前はアセキアの中庭と呼ばれるイスラムらしくない噴水が出ているが綺麗な中庭に面した回廊を通る。

 ヘネラリフェからはアルハンブラ宮殿のメインの建物から続く城壁や庭が見渡せた。

 アルハンブラ宮殿を後に、アルバイシン地区を通り、サン・ニコラス展望台に来た。

 サン・ニコラス展望台からアルハンブラ宮殿を見たところ。ここは展望台の名の通り、少しフラットな広場となっていて、観光客や地元の露天商やミュージシャンが集まっていた。

 サン・ニコラス展望台横のサン・ニコラス協会。

サン・ニコラス展望台にあるレストランで休憩した。暑いのでところどころのパラソルの下にミスト発生器があった。

 サン・ニコラス展望台から麓の大聖堂まではアルバイシン地区といって、昔ながらのイスラムのお店が並ぶ細い路地を通り抜けて降りてきた。

 グラナダ大聖堂の近くにあるアラベスク模様や絵のお店でおみやげを買った。

 グラナダ大聖堂の入口。左から入る。

 大聖堂に入り、左から礼拝をする大きな堂、そこを進むと左手に古そうなパイプオルガンがあった。正面は堂の中央でミサをする司教さんの椅子や上にはドーム型の天井が見える。

 大聖堂の隣に王室礼拝堂があり、その地下は撮影禁止だが、イサベル 1世女王とその夫フェルナンド2世、さらにイサベル女王の孫娘のフアナとその夫のフェリペ1世の4人の棺が納められている。

 大聖堂の近くのRomanilla広場と、ロバと水運搬人の銅像。調べたけど日本語のものが見つからなかった。

 グラナダのSan Jeronimo修道院。中庭が広く、それを囲むように部屋がいくつもある。その中の一つに大聖堂があって中は通常の教会のように広く高い作りでミサが執り行われたのだろう。正面のドームの下はたくさんの聖人像があった。

<参考コンテンツ>

・”4Kプレミアムカフェ選 城 王たちの物語 アルハンブラ(初回放送2006年)”, NHK BS, 2023.8.22.

・"阪急交通社 たびコト塾 添乗員山上泰布が案内するスペイン〜グラナダ編〜 (youtube.com)"

 

Spain旅行ーBarcelona

 2023年にコロナ渦も明け、満を持しての海外旅行第1弾として、9月末~10月頭にかけてスペインに行ってきました。今回はそのスペイン旅行を3回に区切って記載します。1回目がBarcelona、2回目がGranada、3回目がMadrid の順に記載予定です。

 Barcelonaの初日はReial広場に行く。広場はRamblas通りのすぐそばに突然あらわれる。広場の中には早速ガウディ作のガス灯があった。ガウディ(Antoni Gaudi 1852~1926はBarcelonaとは切ってもきれない建築家で、ガウディ建築が観光の中心の町。

 Ramblas通りを海と反対側に行き、広いCatalunya広場へ。広場の周りは道路で取り囲まれ、東側にスペインで一番のデパートEl Corte Inglesがある、その9階にレストランがあり、そこでバイキング形式でリーズナブルな食事ができる。食堂からの眺めも良く、これから行くSagrada FamiliaやGuell公園の方も見える。

 今日の前半はSagrada Familiaを中心としたガイドツアーだ。まず集合場所のバルセロナ凱旋門へ。朝9時なので通りは人出が少なく散歩する人がちらほら。ここからバスに乗って観光開始。

 バスからRamblas通りの端のコロンブスの塔が見えたのでパシャリ。そのままMontjuicの丘に着いて、そこからBarcelonaの町が一望できた。右が海のあるBarceloneta海岸側、左が山側で左端にこれから訪れるSagrada Familiaが小さく見える。

 再度バスに乗り、いよいよSagrada Familiaへ。Sagrada Familiaは1882年から未だ建築中で、その中で世界遺産は今のところGaudiが手がけた生誕のファサードのみらしい。Sagrada Familiaは聖書を表現した彫刻で飾られていて、現在は日本の彫刻師である外尾悦郎さんがデザイナーの中心となって携わっているらしい。2021年の年末にマリアの塔が完成し、その頂点の星が見られる。現在は2026年のイエスの塔の完成を目指して工事中である。

 世界遺産である生誕のファサードはイエスの誕生から聖母マリアの戴冠までを表現していて、一番下にイエスの誕生をあらわした馬(正確にはロバ)小屋の彫刻(拡大写真)がある。

 生誕のファサード横の入口に色々な生き物の彫刻があり、その中で蛙と蝉をパシャリ。

 Sagrada Familiaの中に入って中央に祭壇があり、それを挟み、左側にオレンジっぽいステンドグラス、右側に青っぽいステンドグラスがあり、他の大聖堂と比べてかなり明るい。柱は木の幹をモチーフに林立する木々を現していて、自然の成り立ちを参考にするガウディらしさが出ている。

 ステンドグラスから差し込む日の光が柱や床を照らして、大変美しい。

 現在建築中の正面入口は閉鎖されていて、文字の書いた大きな金属版があった。

 奥に鐘塔に登れるエレベータがあり、そこに並んで塔に登った。上からはBarcelonaの街が見渡せ、先ほど行ったMontjuicの丘が見えた。また、新しいマリアの塔も見えた。

 塔からの下りはエレベータは使えず螺旋階段を使って降りて、目が回りそうなくらいたくさんの階段を下りた。

 Sagrada Familiaの最後は受難のファサード側から外に出た。磔にされたキリストを中心にキリストの死をモチーフとした物語の彫刻がある。ここはGaudiiではなく地元の建築家が担当し、未だ世界遺産とはなっていない。

 この日の最後はCordovesというタブラオ(フラメンコをやるお店)でフラメンコショーを堪能。ショーの前に簡単な夕食がふるまわれ、その奥のダンス会場に移る。目の前に衣擦れの音とダンサーの息遣いと汗が飛び散り、迫力満点でした。

 2日目はGuell公園に向かった。一番人気のトカゲがいる階段は観光客でいっぱいでした。階段の上はたくさんの柱があり、この柱一つ一つが水路になっていて、さらに上の広いテラスの水をろ過するしくみらしい。上のテラスは広場になっていてGuell公園から海側のBarcelonaの街が一望できる。

 テラスやそこまでの通路は下のようなゴツゴツした石の柱群に支えられており、ここでもガウディの自然への造詣美が感じられる。

 次に訪れたのはモデルニスモ建築の代表作で世界遺産でもあるCatalana音楽堂。訪問時にはちょうどフルートの練習中で思わずコンサート雰囲気を味わえた。天井は非常に細かい装飾が施された天窓がシャンデリアのようだった。

 最後はBarcelona大聖堂に訪れた。既にSagrada Familiaを訪れた者としては一般的な大聖堂に映ったが、それでも大きさと内部のステンドグラスは目をみはるものがある。

 本日の最後はBoqueria市場をぶらつき、その中のレストランで、生ハムとイカフライとシシトウのフライを堪能した。今日はお疲れさん、乾杯!

<参考コンテンツ>

・”サグラダ・ファミリア~輝く星の塔 マリアの祈り”, NHK BS1, 2023.6.18.

・”NHKスペシャル サグラダ・ファミリア2023~ガウディ100年の謎に迫る”, NHK総合, 2023.8.19.

・"阪急交通社たびコト塾添乗員山上泰布が案内するスペイン〜バルセロナ編〜 (youtube.com)"
・"バルセロナウォーカー 週刊HILLチャンネル 【徹底解説】バルセロナの地下鉄利用方法(2022年版) (youtube.com)"

 

ベルリンの壁

 maidoは1990年5月に東ヨーロッパに行く機会を得た。ベルリンの壁崩壊直後で、未だ東西ドイツとその国境がのこされており、東西ドイツが統合されたのはその年の秋になる。

 当時、かの地へはソビエトアエロフロート航空でモスクワから入った。赤の広場は観光地化されているが監視されてる感じ。よく見るクレムリンの宮殿とネギ坊主の教会、レーニン廟が見える。その下の写真には東欧独特のプラスチック製(?)箱型車がたくさん並んでる。また、モスクワ大学スターリン時代を象徴する重厚な建物らしい。

赤の広場、聖ワシリー寺院とその周辺

モスクワ大学

 次の日はベルリンに飛ぶ。ベルリンには工事中のブランデンブルグ門とその横に東西ベルリンを隔てる国境検問所があった。

工事中のブランデンブルグ

国境検問所

 検問所を通過後、今も残るベルリンの壁を撮る。かつて壁を越えようとて殺された人の名前を記した十字架が並ぶ。

落書きのあるベルリンの壁

壁を越えようとした人の十字架

 未だ生々しく崩された壁の跡が残る場所がある一方、近くではバラバラの壁が一袋3ドル売られていて、商魂の逞しさが伺える。

壁の跡(地面の白い部分)と売られている壁

 西ベルリンは西側らしく雑多だが活気があり、東ベルリンはそうじが綺麗に行き届いている一方、抑圧された感じが残る。東ベルリンのウンターデンリンデン通りと遠方にベルリンのシンボルのTV塔が見える。

ウンターデンリンデン通りとベルリンTV塔

TV塔に上り展望台から東西ベルリンを臨む。中央上部にブランデンブルグ門が見える。

ベルリンTV塔から東西ベルリンを臨む

 ベルリンの近くにあるポツダムまで足を延ばした。かつて第2次大戦終結時に使われた円卓が保存されていて、ここで戦後処理がなされ、東西冷戦世界の秩序が決定された。

 その東西冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩壊したにも関わらず、歴史に逆行する蛮行がプーチンにより為されている。何とも痛ましい。