ベルリンの壁

 maidoは1990年5月に東ヨーロッパに行く機会を得た。ベルリンの壁崩壊直後で、未だ東西ドイツとその国境がのこされており、東西ドイツが統合されたのはその年の秋になる。

 当時、かの地へはソビエトアエロフロート航空でモスクワから入った。赤の広場は観光地化されているが監視されてる感じ。よく見るクレムリンの宮殿とネギ坊主の教会、レーニン廟が見える。その下の写真には東欧独特のプラスチック製(?)箱型車がたくさん並んでる。また、モスクワ大学スターリン時代を象徴する重厚な建物らしい。

赤の広場、聖ワシリー寺院とその周辺

モスクワ大学

 次の日はベルリンに飛ぶ。ベルリンには工事中のブランデンブルグ門とその横に東西ベルリンを隔てる国境検問所があった。

工事中のブランデンブルグ

国境検問所

 検問所を通過後、今も残るベルリンの壁を撮る。かつて壁を越えようとて殺された人の名前を記した十字架が並ぶ。

落書きのあるベルリンの壁

壁を越えようとした人の十字架

 未だ生々しく崩された壁の跡が残る場所がある一方、近くではバラバラの壁が一袋3ドル売られていて、商魂の逞しさが伺える。

壁の跡(地面の白い部分)と売られている壁

 西ベルリンは西側らしく雑多だが活気があり、東ベルリンはそうじが綺麗に行き届いている一方、抑圧された感じが残る。東ベルリンのウンターデンリンデン通りと遠方にベルリンのシンボルのTV塔が見える。

ウンターデンリンデン通りとベルリンTV塔

TV塔に上り展望台から東西ベルリンを臨む。中央上部にブランデンブルグ門が見える。

ベルリンTV塔から東西ベルリンを臨む

 ベルリンの近くにあるポツダムまで足を延ばした。かつて第2次大戦終結時に使われた円卓が保存されていて、ここで戦後処理がなされ、東西冷戦世界の秩序が決定された。

 その東西冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩壊したにも関わらず、歴史に逆行する蛮行がプーチンにより為されている。何とも痛ましい。